
足らない現象面だけをみてくよくよする必要のないことも理解できました。
二男は、一年保育でしたが、二年、三年保育にも匹敵するような成長ぶりに胸をなで下ろすとともに、主人の言う「自然淘汰」の大切さもわかったような気がしました。
中でも、人的環境のもたらす大きな影響力には、一段と強く認識を深めました。それが、多くの人や物との出会いを拡げることの大切さを実践するきっかけになりました。
長男が入学したその日、ろう学校では、ちょっとした能力検査がありました。その調査に、長男の対応があまりにもでき過ぎましたので、先生方が、「前の人のするのを見ていたのではないか」と、今度は全く別の異なる調査をされましたが、この方も、アッと言う間にやってのけました。立ち会った先生方が呆気にとられたお顔をなさっていたのを思い出します。
これは、きっと玩具や絵本等で楽しく触れた経験が、うまく順応して働いた結果であったろうと、私はひとり合点し、嬉しく思いました。
音のない子には、「視覚を通して対象に対峙させることが大切なんだ」と言う主人の、この子の特性に合わせた環境構成がよかったのだと思います。
中等部、高等部に進むにつれて、精密な図面づくりや、レタリング、それに、先生方の時計やカメラなどのちょっとした修理や、機器類の扱い方に至るまで、「まるでプロ並の手さばきでよくやってくれます」と、学校関係者からもよく聞かされましたし、事実、家庭にあっても進んで、そうした機器類の扱いについても世話をやいてくれました。学校では特に重宝がられていたようです。
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